居直り日記

深く考えずに書く

「山のトムさん」石井桃子 | 猫の猫っぷりを素晴らしく魅力的に描く。

幼少時、 ピーターラビットくまのプーさんもトムソーヤーも読まなかったので、多分、人生初の石井桃子である。

舞台は戦後間もない東北の山間にある村。東京から移住してきた「トシちゃんと、トシちゃんのおかあさんと、おかあさんの友だちのハナおばさんと、おばさんの甥のアキラさん」一家、そして一家の飼い猫トムの物語。

まず衝撃を受けたのが、戦後間もない日本の衛生状態の悪さだ。一家はあまりのネズミの多さに困り果て、猫を飼うことにするのだが、そのネズミの描写が怖い。人間の前に平気で姿を表すネズミたちに、ハナおばさんは鼻をかじられ、そのうち配給の米だの本だの着物だのまでかじられ、だめにされてしまう。

家中のふくろというふくろに穴があき、きものさえ安心してそこらへぬいでおけないありさまになってきて、とうとう、山の家の人たちは、とてもひどくネズミの悪口をいうようになりました。(「山のトムさん」p.13)

「さすがにこれは猫を飼うしかない」となって一家に迎えられたのが、生まれてまだひと月の白黒の子猫トムというわけなのだった。なかなかネズミを摂ってこないトムだったが、おばさんの訓練の甲斐もあり(カエルを使って特訓するのだ)、時間はかかったものの、ついにはネズミを捕まえることができるようになる。

そうして一家に可愛がられていたトムだったが、ある時病気になってしまう。下痢を繰り返し、家のあちこちで粗相をするようになってしまったトムを前に、おかあさんとアキラさんは、トムを山に捨ててしまうことを考えるようになる。

これも現代の感覚からすると「えっそんな簡単に捨てるっていう選択肢出てくる?」と驚くのだが、なんせ戦後間もない頃の話である。そしてこの感覚については、個人的には、ああ、昔の日本ってそんな感じかも、という記憶があった。

私がまだ小学生の頃、昭和の話だが、ある日、離れて暮らす祖母のもとを訪ねると見知らぬ猫がいた。迷い猫だったらしいその猫を祖母は割と可愛がっていたように見えたのだが、半年ほどたってまた祖母の家へ行くと、もういない。「猫、どうしたの」と聞くと、「捨ててきた」とあっけなく祖母は言うのである。

その時も、えっマジか、と驚いたのだが、これは祖母が極端に薄情だったわけではなく(と思いたい)、戦中派の犬猫の扱いというのは、現代とは比較にならないくらい軽く、都合が悪くなれば捨てる、という選択肢がわりと普通にあったのではと思うのだ。

幸い、山の一家のトムへの愛情は私の祖母のそれよりもう少し深く、トムは捨てられることなく回復し、一家との絆を更に深めていくのだった。

全編を通してトムの猫っぷりが素晴らしく魅力的に描かれている。元気と好奇心に満ちあふれていて、無邪気で危なっかしく、面倒を起こすけど可愛がらずにはいられない。

なかでも「トム、町へいく」での、おばさんとの攻防(?)の躍動感は最高で、読みながら顔が笑っているのが自分でもわかった。楽しい読書でした。